2007.10.14作成

関西大学探検部50周年

次の文章は関西大学探検部が発行する「踏査」の巻頭に掲載されたものです。

 9月半ばに突発性難聴発病。市立病院で処方された薬は全く効かず,めまいの点滴も全く功を奏しない。10月初旬,阪大病院のめまい専門の先生の診察をうけた。いい治療法があって全快する方向性が見えることを期待した。若き先生曰く,命にかかわるものではなく,左耳内耳がダメージを受けて,左右のバランスが悪いから,めまいがするのだという。自ら運動して,この新しい環境に脳を慣れさせる,新しい脳のネットワークを作ればいいのだと。  
  この診断を受けるまでは,自分以外の世界がぼくを救済してくれる,という期待があった。そうだな。自分だよなあ。改めてそれを感じ,薬を捨てた。それで急に元気になった。自らのために自らがする,そうしてダメージに慣れる。人生に時間にリセットはないのだよなあ。ぼくはこれまで国内や海外の調査を地球科学の観点から数多く実施してきた。しかしここ数年前からまとめる時間がないことを実感し,調査を拡大してゆくよりも,これまで調査してきたこと,考えたこと,築き上げた研究環境を積極的に利用すべきだと感じ,そう行動している。とはいえ,突発性難聴発病時には30分ほど立てなくて,こわばって横になっていた時は,今後の調査や研究ができなくなるのではないかと弱気になった。今もめまいと耳鳴りが続くが,自分で世界を創りうる今のぼくの新たな環境に喜びを感じている。まだまだ,探検部の顧問の資格があると自負する。
  世界の大学の探検部の小さな部室では,小さな探検が日々,目論まれている。さあ,行こうか。小さなドキドキ,浮き浮きが生まれている。アルバイトや仕事ではない自分たちの時間と空間を創る,そういう自由人の活動が小さな部室にはある。マラリア蚊とヤマビル禍の危険性が高い熱帯の地,数メーター先も見えない砂つぶて舞う砂漠,極寒の大河の上,手足の力が萎えてゆく中での山岳斜面,体一つでやっと匍匐してできる暗闇の鍾乳洞のなか,こういった自分と向き合える場が,小さな部室と繋がっている。
 日常ではまみえることのできない自然界に息づく気配,人または人の造形よりも,より根源の一端に触れる喜び。生きている喜びを噛み締めることができる。人や社会よりも,存在の根源に触れることで生きる喜びを獲得する。この高みを求めることが探検活動であるとぼくは思っている。そして,生命力溢れる大学生時代にそれを体験できるまたはできた幸せに羨望を感じる。
 探検部の過去50年の歴史のなかでは残念ながら犠牲はあった。それを踏まえて,いまのOB・OGのサポート体制が続く。行く手に崖があればロッククライミング,濁流があれば渡りきる技術,周到な計画と突発的な事態に対処する機転と勇気,これは先輩から後輩に伝えられてゆく。これからも個の独立,自らの高みに向かう良き探検部の伝統が続きますように。

木庭元晴

追加 12.3

11月4日(日曜日)に,関西大学100周年記念会館で開催された,50周年記念のパーティのはじめに挨拶したのが,次の分です。

関西大学探検部創部50周年,おめでとうございます。 種々,ご多忙の中,遠方から,このように,多くの関係の方々に集まっていただいて,このような盛会になりましたことは,まことに慶賀の至りです。 さらに,この多くの仲間が一同に会する機会実現まで,ご苦労された徳田さまを初めとするOB,OGおよび現役部員の皆さんに敬意を表します。

探検部歴代の猛者,先代の部長川手昭平先生,さらに初代部長横田健一先生がいらっしゃる中,主催者挨拶をするご無礼をお許しください。ぼくは最近,突発性難聴やらなんやらになりまして,調子が出ないのですが,御歳92歳の横田健一先生が本当のところ,一番お元気でして,羨ましい限りです。

泉井先生は探検部のOBとして,ご卒業以来,実質的な戦力として貢献してこられました。50年のあゆみ,の資料整理が泉井先生の研究室の一角で実施されております。

のちほどご紹介があると存じますが,中国岷江での村上哲也君の事故の際など,関大探検部には,事務局の大きな支援がありました。その代表格が,本日お見えになっております大津さまで,この場からではありますが,改めてお礼を申し上げたい。

本日お手元に届いた14年ぶりに発行された踏査を先に読ませていただいて,探検部の歴史の重みを感じました。そして,個々のメンバーが探検に独特の思い入れがあることを改めて知りました。のちほど,過去50年の歩みや具体的活動について,種々のご報告やご挨拶があると存じますが,私の思い至ったことを簡潔にお話したいと存じます。

ぼくの学生時代は政治の時代で,自己実現よりも,社会変革が求められました。世界の侵略戦争,とくにベトナム戦争で毎日多くの人々が殺されているのに,自分にかまけることは罪だという思いに支配されました。そして,社会変革がいかに難しいという挫折感を味わいました。自らは何も実現していないのに,ポンと社会に飛ぶ,この思考形式は,時代がもたらしたものだと,思っています。

とはいえ,そういう時代を含んでいてもそして現在のきびしい労働環境にあっても,日本の過去50年は総体として幸運な時代であったと思います。ぼくも幸せであった。みなさんも。

関大探検部はこういう時代にあって,多面的な活動をしてきました。政治でも社会でもなく,自らの体を動かし,人間の舞台である自然界に挑んできた。 関大探検部の魅力は,その連鎖,チェーンが切れていないことだと思います。たとえ無意識的であった場合も,歴代探検部メンバーの自然界に対するロマン,技術が現部員に引き継がれている。この50年間の連鎖に,敬意を表したい。 以 上