Feb. 8, 2005 Feb.19 修正
ぼくは学生時代には,少年マガジンに連載されていたバカボンのパパが理解できなかった。学生が多くたむろする一角の喫茶店では,このバカボンのパパに人気があった。バカ田大学はマンモス大学で人材を輩出した早稲田大学のアンニュイな表現である,と思う。当時の学生がこのバカボンのパパを理解していたかどうか疑問であるが,本能的に大学の堕落を感じていたのだと思う。大学が一応の知の府から教育産業の展開の場に移行する兆しが現れている時であった。それに真正面からアンチテーゼを提示したのが,1970年安保の前夜の学生運動であった,と思う。学生の存在自身に極めて限界があった。それも含みつつの小児的アンチテーゼであった。小児的であることに意味がある,と思う。
赤塚不二夫が,これでいいのだ,ってのは,まあ自らを含めての,諦めでもあるし,能天気でもある。これでいいのだ,って言っても,なんもない。大学の風俗を風刺することで社会を風刺することになる。そういうことなのだが。
ぼくらはなんのために生きているのか。他の生命の喰らって生きる存在ゆえに存在自身は悪だ。悪だからこそ,正義を求めようではないか。大学が営業に走り,学生を集めることだけに汲々としている。大学の歴史は古くはないが,宗教的理想を実現する人材を養成する場であったはずだ。日本でも明治維新以後の西欧コンプレックスの中,赤門以下の大学には,社会に役立つ人材を育成する正義があったはずだ。
今はそれがない。バカ田大学を自ら任じている。かつては学生も教員も思惟していた,と思う。社会的弱者を如何に救済するか,それを深く心に秘めていた。出生率が低下したから,経営が成り立たない。バプル時代のつけが大学経営にも現れる。そんな中で,大学教員はリストラを懼れる。大学経営者または経営に係わる係わりうる者は文化的事業者的部分をほぼ消失している,感がある。大学が存在する唯一の拠り所は,社会に役立つ人材を出力することにある筈だ。学生が無理せずに楽しんで小綺麗なキャンパスで学生ライフを楽しませる場では無いはずだ。言わずもがなだが,学生を取り込むことより,いい人材を出力することを是としなければならない。
以 上