『天界と地獄』が最も著名でまずはこれを読むことにする。
翻訳は幾つかあって,鈴木大拙が著名ではあるが,ネット検索ながら,下記のものをアマゾンから注文するつもりである。
天界と地獄 単行本 – 1962/8
イマヌエル・スエデンボルグ (著), 柳瀬 芳意 (翻訳) 2700円送料無料。
本書の訳者まえがきでは,邦訳のうちで全訳の出版は初めてのこと,記されている。
楽天の静思社のサイトでも同価格。送料無料。
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/静思社%E3%80%80天界と地獄/
柳瀬芳意(旧姓田中,柳瀬まち子と結婚して柳瀬となる)の翻訳に決めたのは,次のサイトの記事を読んだからである。
Swedenborg and Latin from A to Zの
・翻訳者:柳瀬芳意(スヴェーデンボリとの出会い)
http://mhblog.aoi-press.com/?eid=543823
・金井為一郎とスヴェーデンボリ (サンダー・シンについても)
http://mhblog.aoi-press.com/?eid=545031
ここには,金井為一郎→高沢保→柳瀬芳意の流れが紹介されている。
霊界物語中には, 『天界と地獄』の一節が注記無く,引用されている。この件については,次の本のあとがきに記している。
木庭 元晴 (監修), 木庭 次守 (編集), 2010. 『霊界物語ガイドブック』 八幡書店.
https://www.amazon.co.jp/霊界物語ガイドブック-木庭-元晴/dp/4893503901
もともとのまえがきとしたのは, このリンクのワード原稿であるが,八幡書店社主武田崇元さんがより説得性を持たせるために,次のような聖師の歌を追加頂いた。
前述のように,霊界物語中には『天界と地獄』の一節が注記無く,記されている。この形についての別の好例を見つけた。キンドル版三木清著作集の次の部分である。
「十 親鸞 一 人間性の自覚
親鸞の思想は深い体験によって滲透されている。これは彼のすべての著作について、『正信偈』や『和讃』 のごとき 一種の韻文、また仮名で書かれたもろもろの散文のみ で なく、特に彼の主著『教行信証』についても言われ得ることである。『教行信証』はまことに不思議な書である。それはおもに経典や論釈の引用から成っている。しかもこれらの章句があたかも親鸞自身の文章であるかのごとく響い てくるのである。いわゆる自釈の文のみでなく、引用の文もまたそのまま彼の体験を語っている。『教行信証』全篇の大部分を占めるこれらの引文は、単に自己の教えの典拠を明らかにするために挙げられたのではなく、むしろ自己の思想と体験とを表現するために借りてこられたのであるとすれば、その引文の読み方、文字の加減などが原典の意味に拘泥することなく、親鸞独自のものを示しているのは当然のことであろう。『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である。それはその根柢に深く抒情を湛えた芸術作品でさえある。実に親鸞のどの著述に接しても我々をまず打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから溢れ出たものにほかならない。」
三木 清. 三木清著作集 (Kindle の位置No.6585-6597). KotenKyouyouBunko. Kindle 版.
要するに,既存の思想が主体に取り込まれ,消化されて,適切に使われていれば読者に感動なども伝えることができるということであると思う。学術研究でこれをすると,人間性が問われることになる。特に,人文科学の論文では今なお,論理の中核すら,意識的にまたは無意識的に,過去の研究成果を自らのものとするような場合がある。宗教では追体験または独自に知り得たことと既存の教えが対応することがあったりして,無頓着に引き写すというようなことは社会的に問題がなかったのではないか。漱石や龍之介の小説や随筆でも自ら考えたとする流れのロジックが,欧州では常識というようなことは極めて普通であり,それについて漱石や龍之介という知的孤高とされうる人々も無頓着だったように感じるのである。
この節のテーマとは無関係であるが,三木清の同著作中に,小田秀人という方が大本教に入ったという記述がある。大本運動に関する知識が筆者にはほぼ無いので,その方がどのような活動をしたかはわからない。
「京都へ行ったのは、西田幾多郎先生に就いて学ぶためであった。高等学校時代にも深い影響を受けたのは、先生の『善の研究』であり、この書物がまだ何をやろうかと迷っていた私に哲学をやることを決心させたのである。もう一つは『歎異鈔』であって、今も私の枕頭の書となっている。最近の禅の流行にもかかわらず、私にはやはりこの平民的な浄土真宗がありがたい。おそらく私はその信仰によって死んでゆくのではないかと思う。後年パリの下宿で——それは二十九の年のことである——『パスカルにおける人間の研究』を書いた時分からいつも私の念頭を去らないのは、同じような方法で親鸞の宗教について書いてみることである。
*
あの頃一高を出て京都の文科に行く者はなく、私が始めてであっ た。その後、谷川徹三、林達夫、戸坂潤、等々の諸君がだんだんやってきて、だいぶん賑やかになり仲間の学生の気風に影響を与えるまでになったように覚えている。私が入学した時分の京都の文科は高等師範出身の者が圧倒的で、私のごときはまず異端者といった恰好であったのである。常時 哲学専攻の学生は極めて少なく、私のクラスは私と同じ下宿にいた森川礼二郎との二人であった。私が変っていたとすれば、森川も変っていた。彼は広島の高等師範から来たのであるが、大学を卒業してから西田天香氏の一灯園に入っ たという人物である。変り者といえば、私の高等学校の同級生で、遅れて京都に来た小田秀人などその随一で、大学時代には熱心に詩を作っていたけれども、しばらく会わないうちに心霊術に凝り、やがて大本教になったりしたが、なかなか秀才であった。やはり一高から京都の哲学科に入った三土興三も変り者で、私は彼において「恐るべき後輩」を見 たのであるが、自殺してしまったのは惜しいことである。もし三土が生きていたなら、と思うことが今も多いのである。
*
現在の学生に比較して私どもの学生時代はともかく浪漫的で あった。時代が波瀾に富んでいたのではなく、青春の浪漫主義を自由に解放し得るほど時代が平和だったのである。」
三木 清. 三木清著作集 (Kindle の位置No.8304-8322). KotenKyouyouBunko. Kindle 版.
以 上