惨憺たる被災と発見のよろこびの葛藤

 文学部ウェブサイトのローテーションエッセー原稿。Mar.23, '12記

 兵庫県南部地震は十七年前。私がかつて指導を受けたA先生は,渋滞していた道路を避けて船をチャーターして淡路島にその日に入った。そこではユンボを借りて活断層を掘った。翌日に到着した国の研究機関の研究員達がA先生に「勝手なことをするな」と叱った。A先生は「地殻変動の研究者が積極的に研究をするのは当然だ」と口論になった。お世話になったB先生はTVの取材で,「私が指摘していた通り活断層だった」と笑顔で語った。地学の授業に非常勤で来て頂いていたC先生は調査があるから期末試験監督や採点はできないと連絡があったのでレポートの課題だけお願いして,私が採点をした。出題内容はこの地震被害に係わるもので,答案のなかに兄を自宅の圧死で亡くした学生のものがあり,「この種の出題は酷い」とあった。私は地震当日に知人の救出には向かったが研究対象とすることはできなかった。
 昨年の東北の地震では,津波による多大の犠牲,広汎な放射能汚染があった。私の所属する某学会から会員全員に「現場が混乱状態にあるから調査は見合わせるように」というメールがきた。ところが後にわかったのであるが,国の機関の研究員だけでなく,かなりの学会有力関係者が早々にA先生や関係学生たちを含めて調査に行っていた。私は海に係わる研究をしてきたので,津波が実際にどのような堆積物をもたらすのかに関心があり研究者として貢献すべきと考えるに至った。仙台はかつて私が大学院時代を過ごした地で知人も多い。福島市の放射性物質が最も集積している地では私はかつて新婚生活をしていたし,家内の縁者が暮らしている。復旧が進んでいた6月末と7月初めに卒論学生3名と私の車で宮城県南部の仙台平野に出かけた。そして多くの成果を得ることができた。最も積極的に研究したD君は当専修での最優秀の卒論を作成した。先に述べた某学会の昨夏の研究発表大会ではポスターセッションで,D君は積極的に多くの研究者に生き生きと説明していた。
 被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

木庭元晴