Kingsgate Hotel, 131 King St., Melbourne にて記す
昨日(Feb. 23, '09),ニュージーランド クライストチャーチを立ってメルボルンへ。ニュージーランドに関する書籍など今後オーストラリアでは使わないものなどをすでに60kg弱アナカン(Japan Express)で送付したのだが,まだ60kgほども残っている。これをオーストラリア旅行の間,持ち歩かなければならない。第Tの関門はJetStar_Saverチケットでのクライストチャーチからの移動であった。Check-in luggage(預ける手荷物)は一人20kgまで,carry-on baggage(機内持ち込み手荷物)は一人計7〜10kgまでで小型のリュックとハンドバッグ。その制限に対し,我が60kgである。何とかcheck-inラゲッジは一つは20kg,もう一つは25kg弱に収まった(旅行の際には10kg計測のバネばかりを持参している。今回は学生に頼んで箕面の自宅まで送ってもらい長男がオークランドに持参)。チェックインの窓口で25kgと考えた荷物は22.7kgであった。オーバーチャージは無かった。JetStarの説明書ではかなり厳しく書かれていたが,ニュージーランド式なのか(ニュージーランドでもオークランドからクライストチャーチまでQantasを利用した際の受付嬢はきびしかったので,何ともわからない)。
機内ではスチュワーデス(flight attendant)のドリンクなどの販売が続き,雲の小さな切れ間に海らしきものが見え隠れして,およそ3時間半。飛行機が雲の層を破って広大な海岸平野が見えるようになった。海岸線は緩やかな弧状を描くが,その内陸部では,幅の広い砂州や水路やラグーンが続く。やがて,遠くに高層ビルが林立する小さな島のようなメルボルンのダウンタウンが見える。 着陸態勢になってから気流が乱れて,乗客の子供たちが泣き出し,隣の妻に気流がおかしい,こんなことはぼくの経験にはない,と言ったりした。なんとか着陸後,急激な減速,これもぼくの経験にはなかった。ほぼ減速後には,乗客の一人が拍手をして,隣の乗客と眼を合わせて,その拍手に同感したりした。 時差2時間のオーストラリアのメルボルンに到着。およそ4時間の機中であった。空港では生もののチェックがあり(前もって機内でカードが配布されて,そこには禁止される持ち込み物のリストがあった),バナナとサンドイッチがみつかって優しく没収されたりした。これは旅行者としては褒めた行動ではなかった(反省)。
タクシー乗り場からイエローキャブに乗って,機中から見えたダウンタウンへ。インド系の男性がドライバーであるが,イアフォンを使った携帯電話で喋っている。インドのものであろう音楽が流れている。ニュージーランドでは味わえなかった自己優先運転である。思えばニュージーランドのタクシーの居心地は良かった。サービス精神からか自分の子供の自慢話などで時間を過ごすドライバーもいたが,他は静かに運転して,場合によってはニュージーランドのギタリストの静かな音楽を低いボリュームで流してくれるタクシーもあった。チップもなかった。$1ほどのおつりを渡しても喜んでくれた。
ホテルに到着する直前,タクシーが接触事故を起こした。Kingsgate Hotelの目の前である。急に左に車線変更をして(オーストラリアはニュージーランド同様,車は左側通行),ホテルに横付けしようとした。減速して左車線に詰めようとしたタクシーを最左端走行中の車がすり抜けようとしたのである。接触。すり抜けた車はゆっくりとタクシーの前に止まって,中年女性がリンゴを囓りながら降りてきた。リンゴを囓りながらこちらを見て,運転手に眼で合図している。運転手の口からshit !。運転者でないボクがゾクッとした。オーストラリアでは車を運転しない方がいいな,と(調査するにはそうは行かないが)。運転手は全くぼくら乗客を降ろそうとしない。ぼくらで荷物を全部下ろして,表示されていた$47+$2(空港でのタクシーに課せされる料金)に対して,事故で気が取られている運転手に$50札を渡す。彼は空港に$3.50を支払う必要があるから,$53.50支払えと言う。ぼくとしてはチップは別に払おうとしたが,嘘を言ってるなと思いつつ$50札を渡す。ニヤッと笑って(これが彼が初めて見せた笑顔?),おつりが無いという。そうならと,その札を取り返してホテルで崩すと言ってホテルで崩して,戻ったらもうタクシーは居なかった。まあ,ラッキーということだろう(後述)。
クライストチャーチでの4カ月は妻にとってもぼくにとっても暮らしやすい地であった。多くの人々が詞のやりとりに注意を払っていて,凄くフレンドリーである。とはいえ,ニュージーランド入国日と出国日については嫌な思い出になった。昨日はクライストチャーチを出発するに当たって,4カ月に及んで滞在したクランフォード通りの宿舎での不条理な対応に今も心が落ち着かない。
さて,入国した最初の都市オークランドでは1カ月を過ごした。 関西新空港から韓国の仁川空港経由でオークランド到着。時差は3時間だが,ほとんど機内では眠ることができず,もうろうとしている。その到着日にはオークランド最大のランドマークSky Towerにあるi-Site(同僚の奥様の弟さんであるTさんがスタッフの一人)へ。Tさん担当の時間までSky Towerのground levelで過ごす。食事を摂るが3点ほど注文しただろうか,そのボリュームの大きさに呆れる。ほとんど食べれずに残す。
かなり予算を絞った中で選定していただいたSky Towerそばの「市中」ホテルへ。私たちが目の前にいるのにフロントの女性二人が口論している(こういう経験は幸いここだけ)。手渡された鍵を持って部屋に。一泊$85。今後6カ月滞在の予定だから,切り詰めなければならないのでTさんが選定してくれた(仮に2ないし3泊のみ)。小型のダブルベッドが小さな部屋一杯に占めていて隅っこにやはり小型のシャワールームがある。窓があるのだが,隣のビルと接近していてアパートの部屋が見える。何ともやるせない。フロントに行って,部屋のチェンジを要求。この値段では部屋が無いという(嘘のようだ)。$30を追加すれば移動が可能という(これは彼女のポケットに入った)。別の部屋は窓がなかったが(妻が嫌った),前の部屋に比べると2倍以上の広さ。倉庫のような雰囲気。ぼくは寝るには問題ないと思った。Tさんには悪いと思ったがこれ以上このホテルに宿泊するのはつらいとして,i-SiteでTさんに相談。翌日から$165のDuxton Hotel宿泊が可能とのこと。1泊だけ我慢すればいい。なお,Tさんや同僚のCさんにはその後大変お世話になった。Tさんご一家にはご自宅でバーベキューパーティなどもしていただいた。
家内と二人で散歩がてら,そのDuxton Hotelに出かけて部屋を見ることにした。二人とも大変気に入った。なんと,その日(オークランド到着日)から宿泊可能で10日間なら$110で良いと言う。エージェントを通さずに個人で交渉するとこういうことになるのか。もともとTさんの紹介なので勝手に注文できない。その日にi-Siteに戻ってTさんにこのことを伝える。Tさんから改めてDuxton Hotelに電話して貰って無事,翌日からの宿泊予約完了(カードの引き落とし完了)。「市中」ホテルの2日分はペナルティを払って返却を受けるが$30の計算は精算書には入っていなかった。
翌朝,タクシーで移動。荷物をホテルに預けて,隣接する谷筋の大木が配置された緑豊かな芝生で,肌寒い中,手作りのサンドイッチを食べる。朝からベンチに座って読書したり散歩する人たちがいる。嗚呼,ニュージーランドに来た,と二入で幸せな気持ちにやっとなれた。その後の10日間のDuxtonを拠点にした生活は,これまで体験したことがない豊かな旅の日々であった。屋外のプールでは毎晩泳いだ。隣接してスパがあって,ここで体を温めてから,キュッと身が引き締まるプールで泳いだ。家内も後半は参加。ground levelに設置されているが,ホテルは谷の斜面に立っているので眺望もいい。
ホテル住まいをこのまま続ける訳にはいかない。Duxton移動の二三日後からアパートを探しはじめる。Duxtonホテル向かいのQueen St.に面する韓国人経営noの日本料理レストラン「松竹」でに聞いたEast Wind Co.に出かける。幸い,その事務所から見える高層ホテルを$350/週でAucklandを立つ日まで借りることに。一切letting feeが無かった。ホテルは30階立てほどだろうか,その10階にDuxton Hotelから移動。重厚なホテルのホールにそれからの豊かなホテルライフを二人で予感した。借りた部屋からは真正面にSky Towerの上4/5ほどが見える。移動当日のイルミネーションで彩られたSky Towerを眺めて,改めてニュージーランドに来て良かったと思った次第である。
与えられた6カ月の主要な目的は南島のSouthern Alpsである。北島に長居することはできない。まずは南島に行かなければならない。先の同僚から紹介されたIさんには本当にお世話になった。Iさんから紹介されたウェブサイトのうち,trademeは不動産情報が豊富ではあった。このサイトで検索して不動産屋や個人に連絡するのであるが,ほとんどリアクションがない。リアクションがあっても結果的にはいい物件に当たることができない。自分の脚で歩かないとダメなんだなあ,と思いつつ,クライストチャーチに行くのが面倒で,Iさんと何度もメールのやりとりをするというずぼらをしてしまった。Iさんが歩いて調べていただいた宿(Harcourtという日本女性が社長の大きな会社が扱っている)に決めることにした。ただ,リネンなどがない。リネン一式を購入しなければならない。そこに拘ってしまって,結局失敗したかなと思う。リネンなんて購入すれば済むことである。とにかく,いくつかの書類を揃えて,一応現物を見て,契約することになった。なお,ツーリスト用か住民用かの滞在期間の境界は4カ月以上である。
オークランドからクライストチャーチに移動して,翌日契約する予定だった。朝,ハグレー公園に面するYMCAの一室で検索していたら,クランフォードの宿舎をみつけた。価格は同じでリネンがついている。電話して会ってみることになった。小さなフラットが気に入って,即日契約。ハーコートには電子メールで断った。
企業と個人経営の違いが出た宿舎だったと思う。個人でも人が誠実であればいいのだろうが,誠実ではなかった。日本の留学斡旋業の企業と契約しているようで,そこから紹介された場合には,それなりの対応をしているようである。全くの個人として,空いているアパートを埋める要員になってしまったことが今回の選定の失敗だと思う。社会的枠組みに則って動かざるを得ない企業との契約が最も安全な選択であるとつくづく思う。
何が私達にとって問題だったのかを簡潔に次に示す。10月末,4カ月の契約をした。12月中旬にはAから別のアパートNo.1に移る必要があると聞かされた。その家賃は多少安くなる。移るアパートを見たいと言ったが,人が入っているから見せられないと拒否される。まあ,このレベルから多少は落ちるのだろうと思った。そしてブロック打ちっ放しのアパート(ぼくにとっては寂しい空間ではあったが我慢しようと思った)に移ったのだが,余りの道路からの騒音(アパートの一番外側に位置してる部屋で,その敷地は交差点の手前にあり,車の始動音が響く)に耳が悪いぼくには耐えられない(ドアのバタンという音にも耳鳴りがかなり大きくなってつらくなる)。すでに全額払っている。全く返却できないという。引っ越し当日の夜,眠れず狭い部屋でトランクに躓いて隣の開けていたトランクの金具に手をつっこんだ。病院にタクシーで駆けつけ10針ほど縫うなど種々あったが,旧居の隣Bに移る。Aより多少小さなアパートに対し要求額は相場からすると大きかった(Bの前の住人がより安いアパートNo.1を移るに当たって,留学斡旋業企業からのロイヤルティ料の差額をぼくたちが支払わされたからだとのちに話があるが)。そして,宿そしてクライストチャーチから離れる当日,過去数回受けてきた部屋のチェック。壁に傷を数カ所みつけて,修理代を払えという(敷金から差し引くという意味)。全く身に覚え無きものを請求される。飛行機の時間も迫っていたので議論はしたが,これまで同様,譲らない。これまで同様,結局はこちらが諦めた。クライストチャーチでの唯一の×にまたしても。
クライストチャーチの4カ月は,ぼくたちにとって,別世界のようであった。宿舎はせまいが,小さな庭には花が絶え間なく咲いていた。大家が購入した元の所有者のものだそうだが,その方の思いが伝わってきた(病気でやむなくこの二世帯住宅を手放したそうである)。ブラックバードやスズメがベランダまできて,パンをついばんだ。となりの小さなアパートの樋ではよくブラックバードが水浴びをしていた。クロネコ,シロネコ,シマネコがガラスを隔ててゆっくりと徘徊していた。夜には,南十字星やオリオン星が輝くちいさな空を見上げた。その空が季節の流れと共に西に移動していった。
ニュージーランドの自然と多くの人々に感謝したい。
以上