教室興隆の立役者さる

木庭元晴  

 関西大学地理学教室は一枚看板の末尾至行先生によって1967年に創設された。橋本征治先生は1969年,一期生が卒業した翌月に助手として就任されている。その後,織田武雄教授などの出入りがあるが,藪内芳彦先生などを失う。藪内先生の遺稿の整理には当時の院生とともにかなりの努力をされたようで,91年泉佐野方面の実習旅行の予備調査のお供をした時のことである。橋本先生は,藪内先生のご遺宅に立ち寄ってお参りをされ,遺稿を何らかの形で公表する約束をされた。03〜05年にはH.F.トーザー『古代地理学史』の一部を共訳の形で公表されている 

 実力ゆえであるが,時代としては海外調査の機会に恵まれた方だったと思う。70年代後半,トレス海峡諸島・パプアニューギニアに藪内先生,大島襄二先生とともに出かけられ,その研究の延長としてフィジーの農村に滞在して調査されることになる。後に博士論文『メラネシア ―伝統と近代の相剋―』に結実する。95年前後には,ハワイ大学との共同研究(両大学でペアを組む形)を実施され,その総まとめとして,当時としては地理学では数少ない国際シンポジュームを開催され,『現代社会と環境・開発・文化―太平洋地域における比較研究―』を出版される。ハワイ大学側のフランコさんとは家族レベルのお付き合いをされ,そのお陰で思えば充実した研究環境が生まれた(写真ALOHAはフランコさんのご自宅でのガーデンパーティ,左下はフランコさんの自宅のタロイモをお二人で観察されている様子,矢嶋巌氏撮影)。日本側では先生のタロイモ研究(当時院生の矢嶋巌氏も参加,『海を渡ったタロイモ ―オセアニア・南西諸島の農耕文化論―』<関西大学出版部>などに結実)をはじめ,多彩な研究陣で木庭も参加した。人となりを反映して,和気藹々かつゆったりと研究することができる環境であった。05年前後には台湾・フィリピンの調査を実施され,長く台湾研究をしている教え子の水田憲志氏を同道されている。

 学年を越えた在学生間の交流,そして卒業生をつなぐ組織として,関西大学地理学研究会は1975年に発足している。「千里地理通信」創刊は1978年である。この研究会を末尾先生の音頭取りのもと,青木先生と一緒に軌道に乗せられた。教室の草創期から最も長く在職され現在まで,教室発展のために活動をされてきた。

 多くのすぐれた研究者を育ててこられた。奥野一生(現代離島研究),石川雄一(都市圏研究),吉田雄介(イラン手織物研究),賀納章雄(伝統的畑作穀類栽培研究),大槻恵美(風土研究),矢嶋巌(生活用排水研究)などである。写真MODERNは現在活動中の橋本先生の教え子たちが集うモダンの会の会合風景である(水田憲志氏撮影)。

 橋本先生は,登山または自然散策を趣味にしておられ,サン=テグジュペリを卒論にされたということもあって,自然地理にも関心が深い。自然地理の教員は私だけなので,長く卒論,修論の副査をよくお引き受けいただいた。業務関係の自然関係の文書もすべて丁寧に手抜き無くチェックしていただいた。感謝するとともに今後の業務に不安を持っている。今後もご指導頂きたく思う。(本学教授) 橋本先生監修Jan.6,09