2006年07月01日
ディベートって難しいよね。6回すべてを終えてそう思います。ぼくは口出しをほぼしませんでした。君たちが実際に体験したことですから,以下の文章は,これからのディベートに活かせるのではと思います。
第1回コメント 初めて体験した第4,5グループ,ご苦労さんでした。終わってみて,ぼく自信,反省するところがありました。ことの詳細は今回は明示しません。次回は,これまで述べたこと以外に,つぎのような点に留意してください。
1. 持ち時間は守る。
2. 論点を明確にするために,肯定側論点1 何々ということ,論点2 これこれだからこうあるべき,などというように,論点を明確に分けて,立論すること。反駁するときも,肯定側論点1について,というように,ディベートしている者も,審判も議論の流れを共有できるようにすること。
3. 2.と関連するが,配布したフローシートを使用して記録すること。
4. メーリングリストを活用して,よくブレーンストーミングし,のちに確かなデータに基づいて,
立論(pptファイル作成),反駁案を作成してください。
第2回コメント 第2グループ:肯定側,第6グループ:否定側 テーマ:「よりきれいになりたい人は美容整形をすべきである」
今回は,フローシートを用意したので,君たちの審判のための記述は,ぼくにとっては見やすくなった。ただ,このフローシートの使い方をほとんどの人が理解していない。改めて,次に確認したい。
フローシートの使い方:
立論,反駁のそれぞれの欄の幅が狭いので,一つの行に一つの論点をまとめることは難しい。そのため,一つの論点が複数の行に渡ることは避けられない。しかしながら,一定の行数に渡った場合でも,その行の範囲には,同じ論点を揃えて示す必要がある。肯定側の立論で,肯定側論点1,論点2,という具合に,発表者も審判も整理してゆく。否定側の第一反駁では,肯定側論点1については,何々,と反駁を展開してゆく。肯定側の第1反駁では,否定側の立論の論点1については,何々と反駁する。第二反駁では,たとえば否定側の者は,肯定側の立論のたとえば論点1とそれに対する否定側の第1反駁と肯定側の第1反駁に応える必要がある。議論はつなげていかなければならない。ある論点について,自らの立場を支えるための主張ができない場合,その論点の部分では負けになる。言葉のキャッチボールであるが,強く投げ返すと得点は上がるし,弱々しかったり,保留したり無視すれば,得点は得られない。
今回の例でいえば,中尾愛さんのフローシートの例を補足しながら示す。
肯定側立論論点3 科学的学会がありリスクが低くなってきた)マ反駁1(否定側)必ずしも成功するとは限らないマ反駁1(肯定側)慎重に認定された医師を選べばよいマ反駁2(否定側)認定されたとか上手い医師でも失敗するマ反駁2(肯定側)整形する人はリスク承知なので問題ない。
この例だと,肯定側の立論を自ら,否定してしまっている。リスクが低い,という主張であったのに,整形をする人はそれを承知している,と締めくくった訳だ。この「リスク承知」という主張に対し,君たちの中で,心にストンと落ちたという人がいた。こういう納得とディベートの得点とは別物である。ディベートの当事者は自らの立論の各論点に責任を持つべきである。
第3回コメント 第3グループ(アンパンマン):否定側ーー第1グループは肯定側
「全頭検査を実施しないアメリカ産牛肉は輸入すべきでない」。
なお,審判は第5グループであった。第1グループ肯定側がより評価された。
より改善された。今回で,全グループがディベートを体験したことになる。さて,あと,一巡である。より高い完成度を期待したい。今回のディベートについて,いささかコメントしたい。
準備量について,肯定側をより評価できる。日本の世論は,肯定側にあるので,否定側の立場は苦しいものであった。日本の食糧の多くは外国に依存している。一般の国民の情報の量や質は限られており,選択肢の多くは商社の手中にある。その意味で政府の役割は重要である。この点は誰もが否定できるものではない。
ただ,否定側もコスト,価格,消費者の自由な選択という論点を示した。価格やコストよりも,食の安全を優先するのは当然,という風潮はある。ところが,現実の国民の行動はそうではない。料理の材料購入のもっとも有力な因子は,価格である。無農薬米をスーパーマーケットで見ることはできない。せいぜい省農薬米である。他の野菜なども同様の状況がある。牛,豚,養殖魚,鶏も抗生物質やホルモンなど薬漬けである。国民の食はお総菜や即席料理に傾斜している。自ら食の安全を求める姿勢を貫く市民はきわめて限られている。
全頭検査がいいのは確かであろうが,統計学的見地に立てば,全頭検査というのは異様な状況である。日本では統計学的議論はすっ飛ばされている。また,日本がアメリカよりも食の安全について,より優れているとは,過去の多くの事例からみて,到底思えない。否定側の論点は悪くなかった。ただ,それを支えるだけの情報収集が適切ではなかった。
第4回コメント 第2グループ(デイビッドソンDavidson)ーー第4グループは肯定側 日本の公立学校は完全週休二日制を廃止すべきだ。 なお,審判は第6グループである。第4グループが近藤真利奈さん一人であったこともあり,勝利を得た。
さて,このテーマは極めて広く議論されているもので,このテーマで一番大切な論点を,ディベーターが把握しているかどうかが問題になる。肯定側は,週休二日制実施前に比べて授業時間が減ったことを問題とした。否定側は,生徒の学びに対する主体性の醸成を強調した。立論の点で,否定側がこの問題の本質を示しており,評価できた。ただ,週休二日制での具体的な実績についてのデータの提示がなかったので,かなり弱い立論となった。授業時間が週休二日制実施前に比べて減るのは当たり前で,授業時間が減って,教える項目が減ったとしても,それがどう問題なのか,肯定側は示していない。
最も創造的であるはずの年代に,学校に縛られることは,決してよくない,と考えるのは凄く自然なことであると,ぼくは思う。近藤さんもそのことは承知のはずだ。もっと,深く自らに問いかけて,ディベートに繁栄してほしかったと思う。
残念ながら,前回に比べて,成長が見られない。折角,この授業で2回,ディベートの機会があるのだから,真剣に取り組んでほしかったと,心から思うことであった。
第5回コメント 第5グループ(YMXZ)ーー第6グループは肯定側 「ヒトクローン技術によって一個体を作るべきではない」 なお,審判は第2グループである。肯定側の勝ちと判定された。
実は,このディベートでは,テーマの肯定と否定が逆になっている。「作るべきではない」と主張する側が肯定側である。ところが,肯定側,が用意したテーマは,「作るべきだ」,で,否定側が用意したのは,「作るべきでない」であった。うまく入れ替わったのだから,ディベートそのものは成立した。このことに気づいた者は複数いたが,それなりに納得されてしまった。
さて,肯定側が用意した論点は,医薬品の大量生産,本人からの移植臓器作製,不妊治療,であるが,ヒト個体のクローン作製についての論点が抜け落ちて,個別の利点を主張している。ヒトクローン,つまり現在生きているヒトの複製を作って,その一部を利用するという限界が明確に示されなかった。否定側の論点(手段化,安全性,育種)は明確であった。ただ,それを結論で現法に乗る形は適切ではないだろう。ディベートの展開では否定側が有利であったが,否定側自身,ヒトクローンの存在論または生命論からの論駁力が十分ではなかった。
ディベートをするということは,そのテーマについて,かなりの深い認識に辿り着く必要がある。
第6回コメント 第6回目: 第1グループ(Empresses and Servants)ーー第3グループは肯定側。 日本は今後も徴兵制度を導入すべきではない。 なお,審判は第4グループであった。肯定側が勝ちと判定された。
肯定側の論点が優れていた。ディベートのプロセスでは拮抗していた。
授業の終わりにぼくが申し上げたように,肯定側の論点で,反戦と安全保障の考えが脱落していることについて,興味深かった。特に反戦思想,徴兵忌避の思想は,現代社会に生きる若者にとってすごく重要なものであるが,現在の熾烈な国際情勢で,未来を断たれる多くの若者の存在と自らをだぶらせることができなかったのだろうか。今回のディベートは,あまりに卑近なほど,国家的見地に傾いている。
以 上
なお,授業終了のち,ディベートの報告を郵送する際に,添付した手紙の冒頭を次に掲載する。
2006年 7月 1日
知ナヴィ受講生の皆さんへ
木庭元晴
半期,結構長かったね。ディベートが始まってから,慌ただしく,100分が過ぎてゆきました。感想文を読ませていただきました。悲しくなったり,嬉しくなったりでした。
「得るものがほとんどなく負担だけが大きかった」,という感想は最も衝撃的でした。深く関わったヒトほど,おそらく,得るものがあったと答えているのだろうと想像されます。努力に比例して力はつきます。これからの人生で,自ら関わった一つ一つのものに積極的なヒトは,確実に成長してゆきます。
大きな穴を掘ろうとすると,すっごく広い範囲を掘らないといけません。自分が気に入った所だけ針のように掘って進むのだといっても,それは物理上,できないことです。興味を持てるかどうかも,知識や問題意識の広がり,さらには人生への思いの深さに依存します。
ぼくはこの種のハウツー授業には懐疑的です。とはいえ,この授業機会を生かしえた方々に敬意を表します。