ガウス=クリューゲル図法投影式の導出法 2003.6.25作成

 これは下記文献に掲載されている。理解するために必要な数学的知識を明確としている。
政春尋志,2001.ガウス=クリューゲル図法投影式の導出法 ー予備知識を明確にした解説の試みー. Deviation of the formula of the Gauss-Kruger projection - An attempt to clarify required preliminary mathematical knowledege-. 地図(報告), Vol. 39, No. 4, pp. 31-37.
 なお,ここに,ガウス=クリューゲル図法の的確な定義として,
国際地図学協会『地図学用語多国語辞典』(ICA, 1973)のドイツ語での説明が適切だとし,そのドイツ語の説明と直訳が示されている。その直訳を次に示す。
「ガウス=クリューゲル投影。C.F.GaussとL. Kruegerの公式に従った(地球)楕円体の正角投影で,主子午線が正しい長さで直線として描かれ(m0=1),座標系の横軸(訳注:x軸のこと)を成すもの」。
   

平面直交座標系とUTM座標系 2003.4.20作成 4.27修正

 いずれの座標系も2名の数学者ガウス=クリューゲル図法によるものである。この図法はランベルトが創案した横メルカトール図法から改善された。横メルカトール図法では地球を球体とするが,ガウス=クリューゲルは,より現実の地球に近い回転楕円体として,かつ,メルカトール図法で実現された正角を維持したのである。その詳細をここでは述べないが,ガウス=クリューゲル図を説明する。次の図は横メルカトール図ではあるが,まあ地球を回転楕円体と考えて欲しい。
(いずれの図も野村正七著「指導のための地図の理解」中教出版,第四刷, 1980.に掲載されているものである)

  横メルカトール図法では,図5-4に見られるように地表をいくつかに分けて円筒に投影し,中央経線付近の正積,正距,正角が実現されていた。繰り返しになるが,ガウスとクリューゲルの才知によって,回転楕円体に対してもこれが実現したのである。
 1927年にドイツ政府によって初めてガウス=クリューゲル図法が地形図の作成に採用された。旧ソ連は1935年からガウス=クリューゲル図法を使っていたが,連合軍の作戦上,これが他の国によっても採用されたのである。連合軍はそれをUTM図法と命名していた。日本は明治以来,多面体図法を使っていたが,UTM図法が一つのUTMゾーン内ではすべての図郭を平面上でつなげることができるので,採用した。ところが,日本では地形図では地表での位置を表すのに経緯度つまり地理座標系を使っている。
 他のUTMを採用した国々では,中央経線が赤道と直角に交わることを利用して,その交点を座標原点として,北半球では,中央経線の北方向をX軸,赤道上で東に向かう方向をY軸としている。Y軸方向のマイナス値を避けるために,原点は(0, 500000) mとされている。図5-5に見られるように赤道と中央経線以外は曲線なので,ここで定義された直交座標系の例えば1000mグリッドは赤道と中央経線以外の経緯線と斜行することになる。UTM座標系を使うのであれば,経緯線を気にする必要なく,直交座標系で位置,距離,面積を求めればいいのである。ちなみに,南半球でも座標系のX軸,Y軸の方向は変わらない。X軸方向のマイナス値を避けるために,南半球では座標原点を(10000000, 500000) mとしている。
 なぜ,10000000, 500000であればマイナス値を取らないのか,ここに示す。UTMゾーンは経度幅6度間隔であり,地球の大円の円周はほぼ40000 kmである。これを60(ゾーン)で割ると,666 kmになる。中央経線からの距離は666の半分の333 kmである。それゆえ,500 kmであれば切りがよく余裕がある。10000000は10000 kmで,大円の1/4分割であり,UTM図は南半球については赤道から南緯80度までであるから,十分にカバーしている。
 なお,UTM図では中央経線で地球表面と円筒とは接していない。中央経線から東西に180km地点で交わっている。この両地点では縮尺係数が1.0000となる。中央経線付近では地球表面をより内側の円筒に投影していることになり,縮尺係数(線拡大率)は0.9996となる。180km地点より外側は縮尺係数が1よりも大きくなり、中央経線からの最大に離れた333 kmでも歪みが6/10000以内に収まる。

 なお,UTM座標系の経度ゾーン番号と緯度帯番号の図を次にに示している。

正式2万分の1地形図 2003.4.11作成

 これに関して一般に流布されている情報は極めて限られている。「参謀本部測量局は全国を覆う基本図として、明治13 年(1880)から関東地方二万分の一迅速測図の作製に着手し、内務省地理局の統合を得て二万分の一正式地形図の作製が始められた。明治21年(1888)五月陸軍測量部条例が公布され、測量局は参謀本部から分離し、陸地測量部として発足したが、二万分の一基本図の完成に要する時間と経費は、国際情勢の変化しつつあることからも許されぬとし、二十五年(1892) その縮尺を五万分の一に改めた」(半月城通信http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html)。
 投影法についての詳細は未だ見えないが,日本地図センター「地図記号のうつりかわり 地図記号の変遷」1994では,多面体(正式)とされている。つくばの調査係0298-64-1111ext.5651調査係に今後問い合わせようとは考えている。